みんなの声(体験談)|
東京都 I さん50代
東京都
Iさん50代
院内救急(急変)に関する体験談
お住まいの都道府県:東京都
苗字のイニシャル:I さん
ご年齢:50代
父は40代後半の時、切除した甲状腺がんが肺に転移。働き盛りだったからでしょう。肺の切除手術など積極的治療を行って生活に支障が出るより、高齢になった時にがんが増えるとしても生活レベルを保つことを優先し、がんとの共存を選び70歳になっていました。
70歳が近づいてからはしばしば胸水が溜まるようになり、その日は5回目の胸水を抜く治療を受けるため入院する予定でした。
しかし当日の朝、起き上がることが難しいほど体調が悪くなり、タクシーでなんとか大学病院にたどり着いたものの、タクシーを降りてすぐ、歩くことができなくなりました。その日は、胸部レントゲンを撮影したあと外来で診察を受けてから入院する予定でした。受付で体調が悪いことを告げると、車椅子が用意されました。痛みにも強く我慢強い父だったので、付き添っていた私は尋常ではないと感じていました。
至急診てもらわなくて大丈夫か尋ねましたが、予定通り車椅子で移動しレントゲンを撮影。
そして外来の待合室に移動すると、我慢強い父が「苦しい」と繰り返すので、早く診てほしいと外来の受付に訴えましたが、私の切迫感が伝わりません。緩慢な対応の後、「では、外来奥のケアルームへどうぞ」といわれ父がベッドに横になると、容体はさらに悪化。
背中、肩甲骨の辺りの痛みが激しく呼吸困難となり、「早く対応してください!」と私が叫ぶと、ようやく医師がやってきて血中酸素濃度を測ったら数値はすでに84%、非常に危険な状態でした。すぐに病棟に搬送され、胸水を抜く処置が緊急で行われました。
すると、今度は心臓が一瞬止まる発作が何度も父を襲いました。ようやく話ができるようになったのがお昼ごろだったと思います。
「もう大丈夫だ」と父がいうので、私は一度仕事に戻りましたが、夕方、本人から電話がありペースメーカーを入れるよう打診されたから病院に来てほしいと言います。家族で駆けつけると、父の上に誰かが馬乗りになって心臓マッサージをしていました。
医師からは、「12秒間心臓が止まって痙攣を起こした、危険な状態なので循環器の病棟に移ってペースメーカーを入れましょう」と言われました。「洞不全症候群」「心室細動」という言葉が私の手帳に残っています。
病棟でペースメーカーを入れる処置がベッドサイドで行われました。翌日、父の顔色は改善し笑顔も見せ、家族と話すことができましたが、父の心臓はペースメーカーが維持している状態でした。
父が入院したのが金曜日。週末から月曜までは3連休で病棟の体制も不十分。連休明け入院5日目の火曜日に家族への説明があるという対応でした。そして私たち家族は、全身にがんが転移していて長くないことを伝えられ、緩和ケアへの移行を勧められました。
父は入院から10日後、病院で息を引き取りました。いずれにしても、父の余命が長くなることはなかったでしょう。しかし、我慢強い父が見せた苦しい表情は、家族だから気付くことができた尋常ではないことを示すサインでした。
もっと迅速に対応してくれていたら急激に胸水を抜かずに済んだのではないか(いつもは数日かけてゆっくりと胸水を抜いていたことを私は知っていた)、それが心臓に負担をあたえたのではないか、という思いが拭えません。余命が限られていたとしても、あの日、病院に着いた時に適切な対応をしてくれていたら、レントゲンなんか撮っている時間に救命専門の医師たちが診てくれていたら、もっと家族でゆっくり話す時間を持つことができたのではないか…と感じてしまいます。